本棚探検隊が行く 128 川原泉の本棚

東京へ出てきた時、紀伊國屋書店に
行けたのが一番うれしくて。
私は10年近くいたのですけど、
自分が住んでいた世田谷の烏山と
新宿の紀伊國屋しか行ったことが
ないんです。他は全然……(笑)

取材・文/甲斐武佳 撮影/津藤文生

 漫画家・川原泉さんの本棚を見たいという声を何度か耳にし、気になっていた。編集部をはじめ、隠れファンは多い。
 押っ取り刀で読み始め、すぐに納得、没入。映画にたとえると、派手な宣伝を繰り広げる大作ではない。単館上映で、観客の口伝えで評判になっていく小粒で 小粋な名画のような味わいがある。ふと思い浮かべたのはアメリカの詩人e・e・カミングスだ。大詩人でも桂冠詩人でもない小詩人。しかし、深く愛される大 きな小詩人である。
 ところで、作品の魅力を伝えるのが難しい。不思議と胸が熱くなった「架空の森」や「銀のロマンティック…わはは」の読後感。それがわからぬ人はイヤだな と思う反面、魅力を明快に言葉で語れる人もちょっとネと思う。言葉より気持ちで理解する作品かもしれない。そう、周囲の人がしてくれたように説明なしで 「いいよ」としか伝えられない。
 もうひとつ作品を特徴づけているのがさりげなく盛られた歴史や哲学さらに数学などの豊富な薀蓄。少女漫画という枠を超えた博覧強記のこの人はいったい何者。確かに本棚を見てみたい。そう思うと、いても立ってもいられない。
 本棚探検隊は一路鹿児島へ。



哲学の薀蓄は
ギャグの一環?

 すっごい好き、めちゃくちゃ好き、お気に入り、いちばん好き、けっこう好き……次々と挙げられる書名に添えられる形容、跳ねるような口調、輝く目が本当の本好きを示している。
 絶妙の語り口による内容も紹介したいのだけれど、書名だけでもページがとても足りない。たとえば小さな頃のお気に入りは『ムスティックの冒険』『空飛ぶ 家』『水晶』『渦巻』……変わったものが好きだったようですね」と口を滑らすと「いや、普通のおとぎ話もすごい好きだったんですけど、そういうのは皆知っ ているから、違うもののほうがいいと思って」という気配りだった。愚問を発して申し訳ない。
 「仕事が済んで、疲れがとれて、お風呂にもちゃんと入って、人前に出られるようになったら、本屋にまず行くんですよ。文庫本を20冊ぐらいばーっと適当に、今月の新刊とかあるとみんな買って、後はハードカバーを見ておもしろそうなのを。行くたびに2万円ぐらい使います」
 一度読み始めると浴室の中にも持ち込み、寝る前にも読書は欠かさない。仰向けになって読んでいるうちに顔に本が落ちて目が覚めたことも何度か。そこで考 えたのが書見台を付けられるようにした特注のベッド。さらに隙間なく壁面に収まるように机も本棚も自分で寸法を測って作ってもらったものだという。
「今はちょっと人には見せられない状態」という隣室から、お気に入りの本と仕事の資料がこの部屋に集められている。最新作の設定はSF。日本のSFを中学の時から読み始めたのは、作品にもしばしば登場する小学校からの友人で本好きのMさんの影響によるものだという。
「彼女はジャンルを問わずにいろんなのを読んでいて、それをのぞき見して、あっおもしろそうとか思った のがきっかけです。眉村卓さんの『わがセクソイド』は涙を流して感動しました」
 ちなみにMさんを漫画好きにしたのは川原さん。幼稚園のころから既に読んでいたという漫画雑誌の名前は……おそらく当時の少女雑誌の名前がほとんどすべて出てきたはず。
 高校時代は読書よりもむしろ映画に熱中し、後に専攻する歴史のおもしろさを知る。大学への片道1時間半の通学列車の中で読んでいたのは意外(?)な本だった。
「周りに人がいると集中できないんですよ。漫画以外で唯一集中できて読めたのがハーレクインロマンス。すーっと頭に入って、すーっと消えちゃう暇つぶしに はたいへん便利な本で、古本屋に行ってまとめて買ったりしました。ヨーロッパで少女漫画が発達しない理由って、これがあるからだなぁと思ったんですよ。 10冊も読むともういいという感じがしますけどね。自由業とかお金持ちさんの人ばっかしで、男の人の職業が10種ぐらいしかないんですね。私が男なら絶対 にこんな女は選ばないなとかも思いました(笑)」
 本当に夢中になったのはアメリカのSF。『ロボットと帝国』『アンドロメダ病原体』『星への扉』などのタイトルが挙げられる。その他には藤原正彦のエッセイ『若き数学者のアメリカ』が特に印象に残っているという。
「すごくおもしろかったです。数学者にしては何て素晴らしい文章だろう、ずるいぞぉ、理系のくせにこんなにおもしろいのを書けるなんてと思うぐらいおもしろかったです」
 さて、数学と聞くと作品の特徴である薀蓄についてたずねたい。本棚にある参考書から勉強好きだった少女を想像してしまうのだが、言下に「好きなわきゃな いじゃないですかあ」と一蹴されてしまった。参考書は高校を舞台にした漫画を描く時の資料。新しく変わった教科名などを間違わないためのものだという。哲 学に関しては「皆、私にとって幸せな誤解をしている」とのこと。
「私、哲学ってギャグの一環としてしか使っていないので、全然詳しくなくて教養過程で勉強したぐらいなんですよね。すごく変な用語で、変だけどちょっと かっこいい、あんまり訳わかんないからかえって印象に残るのってありますよね。講義の最中に先生が有名な一節を原文で書いたりするのをさっさっさと写し て、ちゃっかり自分の作品に使っちゃったりして、あたかも読んだふりをするとかね(笑)」
 うーむ、額面どおりに受け取っていいのだろうか。「同じく作品によく登場する数学はどうなのだろう。
「高校での数学はほとんど低空飛行で、よく進級できたなというぐらい苦手だったんですけど、受験の年にすごくいい参考書に出会って、いきなり点数が4倍 に。元々どのぐらい悪かったかわかるでしよう(笑)。でも、受験終わるとすぐ忘れちゃいますね。その参考書はね、今でも大切に持っているのです」
 むしろ大好きなのは雑学本。世界のこぼれ話や○○の謎、有名人の奇行や愚行録といった本が「すっごく好き」と息を弾ませる。さらに小学生のころから、家にあった『広辞苑』で変わった言葉を見つけるのも好きだという。飽くことのない好奇心、これが作品の秘密かもしれない。

「歴史新聞」日本文芸社
高校の世界史の先生の影響で、歴史好きに。大学では、西洋史志望だったが、ドイツ語やフランス語を真面目にやらないと卒論を書けないと、日本史専攻にした。「そしたら虫に食われた古文書を渡されて……。古文はドイツ語と同じくらい大変でした」
好きな作家の筆頭にあげられる田中芳樹さんの未来史SF『銀河英雄伝説』(徳間書店)。ちなみに、歴史モノで特に好きなのは『小説十八史略』(陳舜臣)で、「中国人って何度も同じことを繰り返しているんだな」との感想。銀河英雄伝説と通じるところが……。
「おもしろいですよねえ」という溝水義範さんの『国語入試問題必勝法』(講談社)。清水さんの別の著書のなかから、名古屋弁をいただいたこともあるとか(「メイプル戦記」)。「これまで悪魔に魂を30くらい売っちゃいました」と照れる。
『Truth ln Fantasy帝王列記』
新紀元社
ファンタジーを読み始めたのは、ファンタジーがよくわからないという図書委員の話を描いたあと。この「バビロンまで何マイル」という話には、ファンタジー の書名が10冊以上登場する。すべて読まれたのかと尋ねたら、「指輪物語だけ本物で、ほかは実在のタイトルを組み合わせたニセモノです」。う〜ん、実在し そうな書名ばかりだったので……。
「これで私も運転できるかも」と思ったという『非日常講座 ジャンボ・ジェット機の飛ばし方』(同文書院)。「おもしろそうな本はフンフンと匂いがするよね」とMさんと話しているという。雑学好きの川原さんは、 「調べることが楽しく、本業(描くこと)がおろそかになることもしばしば」とか。やはり勉強好き!?
資料ではなく、実際に使っている『朝日園芸百科』(朝日新聞社)。学生時代から、理系では生物が好きだった。見晴らしのいいマンションの最上階にあるご自宅のベランダでは、植物を育てている。ちなみに、桜島の火山灰もよく降る。
最近はまっているのは
ファンタジー

 川原さんの舌はますます滑らかになる。そして、漫画家の道を歩み始める前に実は就職しかけた話を披露してくれた。
「教授の紹介で地元のお嬢様が通う女子高です。二重のコネがあったにもかかわらず、私は面接で落とされました。だって、この高校の教師となるために、あな たは良い妻良い母親になる教育と勉学とどちらを重視しますかと言うから、私は胸をはって『もちろん勉学で〜す』とか言ったら、お帰りくださいみたいな感じ で。ひどーいとか思って、しょうがないから漫画家の道を進むしかないなとか。だからお嬢様学園にはコンプレックスがあるんです(笑)」
 このおかげで漫画家川原泉が誕生することになるのだが、最初に投稿した峙はGペンや丸ペンも持っておらず、吹き出しの漢字にはすべてルビをふったという。
「全然基礎ができていないのに投稿なんかしちゃったもんだからもう後は大変というか、身のほど知らずもたいがいにしろっていう感じ(笑)」
 しかし、それから快進撃が始まる。一時期は上京していたこともあり、アシスタントさんの影響でゲームの世界も知る。現在のお気に入りである『魔法の国・ ザンス』シリーズなどのファンタジーが好きになったのも『ドラゴン・クエスト』や『ファイナル・ファンタジー』が一因だ。
「私ね、小学校4年生の時に実におもしろくない作品を読んで、それが原因でずっと嫌いだったんですよ。。それが、私も漫画家としてドラゴンとか天使とかの素養がないとやっばりまずいかなぁと思って読んでみたら、何とけっこうおもしろいじゃあ〜りませんかという話で。はい」
 さらにホラー系のミステリーにも目がない。クーンツ、マキャモン、そしてキングは「刑務所のリタ・ヘイワース」や『グリーンマイル』など「刑務所ものだけ書いていれば好きなのになぁ」なんだそうだ。
「私は生活費でいちばんお金をかけているのは本じゃないかというぐらい本が好きで、いくら高くても欲しい本があれば全然惜しくないと思っていますけれど、服とかだとどんなに欲しくても高いとムカツクーと か思って(笑)買わないですよ。いいや、うちにあるやつでと思って」
 どんなにハズレの本でも後悔しないことにして、一度買った本で手放したものはないそうだ。ただし、最近読んだ『ハンニバル』には「読み終わった時にバカヤローとか言ってしまいました(笑)。最後まで引っ張ってそれはないだろうという感じで」とのこと。
 無類の本好きと才気煥発の印象を強く受けた川原さん。光と影。おそらく仕事に向かうストイックな姿勢があるが故の明るさなのだろう。
 春の空から静かに雨が降り始めた。

Izumi Kawahara
漫画家。本名同じ。
1960年9月24日鹿児島県生まれ。
鹿児島大学4年在学中に、初めての漫画「ジュリエット白書」を描いて『花とゆめ』誌に投稿。83年に「たじろきの因数分解」でデビューし、「空の食欲魔人」「甲子園の空に笑え!」などを指宿市の実家で自力で描く。
「アップル・ジャック」でアシスタントさんという存在に初めて出会い、85年の「ゲートボール殺人事件」から上京し、「美貌の果実」、「笑う大天使(ミカエル)」などを発表。
意表をつく設定、卓抜したストーリー展開、リアルなディテール、適度にお気楽な登場人物、哲学的かつリリカルなセリフで、カリスマ的人気を集め「カーラ教授」と呼ばれる。
96年からは鹿児島市に住み、現在、『メロディ』誌に「ブレーメンII」を連載中。単行本、文庫本は多数あり、3月には「ブレーメンII」2巻目を刊行。(すべて白泉社刊)


※本棚右寄りに黒い縦長の三角がありますが、これは元の写真が見開き2ページにまたがっているため、スキャン時に発生したものです。


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